上見ることをやめ、己という存在意義を疑い続け、周りをも疑い、環境も疑い、ついには己自身をも疑った時。
全て解放された。
全てのことに意味などないことを。
人々が平和に生きるためのルールがいつしか、権力者が人を操るための道具と化している。
そのことに普通の人間は気付くことができない。
自分の出来る範囲で、できるだけ楽をしてある程度生きていければ、そして周りと一緒だったら安心できる。
そういう教育を受けてきた。
そして、今という時代。
突如として現れた『個』という存在の意義。
人々は今までの常識を簡単に覆されることになる。
まるで、赤子の手をひねるかの如く。
そして、まだ気づいていない。
数々の将来の予想がされている中、
生き方や働き方、人間の存在意義そのものが見直されようとしているのだ。
必ず国の教育ではカバーしきれなくなる時がやってくる。
今が転換期なのだ。
なんでも役に立つと思う学問、思想、教訓、知恵、すべてを可能な限り取り入れて自分というかけがえの無い存在を作り上げるのだ。
そして、ライバルは目の前にいる人間ではない。
マーケットの競合他社でもなければ、同じ部署の出世争いをする同僚でもない。
ライバルは常に今までの自分。
数分前の自分、昨日の自分なのだ。
そして、過去の自分を超えることを諦めた時、それはすべてが終わる時だ。
自分で考えることをやめちゃだめだ。
常に最新で最高の自分であり続ける。
失敗してこそ成長できる。
成功してこそ、喜び、その喜びを糧に次に進める。
自分という存在を力尽きるまで高め続ける。
それがこれからの時代を生きるということで、これからの教育のベースにすべきなのではないか。