もうかれこれ30日以上出勤できていないわけだけど、若干20日は、まがいなりにでも社会人でいられた気がした。
自分はこの20日間、自分の体が弱っていくことを他所に目の前の新しい世界に必死で食らいついていって、そこでしか見られないものを、次々と見ることができた自信がある。
自分の本気に対して本気で対応してくれる先輩方。新入社員だからといって決して下に見るようなことはせず、いつかの戦力への投資として忙しい時間の中、教育をしてくださった。そして、会社に慣れていないように見えて気を遣ってくださった人事の方いて、自分の赤裸々な気持ちを正面から受け止めてくださる社長がいらっしゃる。
自分がいる会社というのは、自分の本気を認めてくれる。そんな会社だ。
それは、当たり前のように見えて、当たり前ではない。
比較するのはナンセンスだが、自分が学生でアルバイトをしていた頃はどうにも本気でやっても見透かされるような扱いをされることが多かった気がする。
『アルバイトなんだからそこまで考えなくてもいいよ。』
『とにかく言われたことだけやってばいいから。』
『アルバイトなんだから気楽にやればいいよ。』
のような具合に…。
確かに、アルバイトの仕事の裁量権は限りなく0に近い。
そして、どんなに本気でやろうが適当にサボろうが時給が支給されるだけでそれ以上もそれ以下も無いことがほとんどである。
自分は確かに能力が社員張りに高いみたいな特別なアルバイトではなかったし、経験値の要とも言える出勤時間も特別多いような働き方ではなかった。
でもアルバイトとはいえ、仕事に向かう姿勢は常に自己成長と利益を考えた上での真剣さを持っていた自覚があった。
それでも雇い主はそれをアルバイトに求めてなどいなかったのだ。
当時はそれが働くということの全てのように見えて、働くこと自体がつまらないただの金稼ぎの様にしか思えなかった。そしてその仕事はどんだん意味のないものになってしまったのだ。
そんな自分でも今の会社で働き始めるときには、また本気でぶつかってやろうという覚悟は持てていた。
やはりそれ自体が自分の性分なのだとは思う。
ただ過去のトラウマを忘れたわけではない。
そこの不安感を埋めることができたのは、今の会社に信頼を置くことができる出来事が入社前に何度もあったことが理由だと思う。
充分なコミュニケーションが取れていて、満を辞して入社できた。そんな会社に今自分はいるのだ。
まだ、自分には会社の良い面しか見えていないのかもしれない。そんな不安がないわけでもない。
でも確かに言えることがひとつある。
もし嫌な面を見たとしても、そこを乗り越えられることができるサポートがこの会社には存在する。相談できる相手が確実にいるのだ。
だから恐れることはない。これからも自分は本気で目の前の世界を切り開き続ける。
全ての働く人に対してリスペクトの精神を持って、自分は自ら社会に対する付加価値のある存在となる。
はたらくことは自分が存在することを可視化してくれる。
自分は前を見て進み続ける。
今を乗り超えて、過去をも超える。